長束道場、関係 各位
令和 4年11月 吉日
(公財)合気会公認道場
ひとみ幼稚園長束道場
いつもお世話様になりまして、誠に有り難うございます。厚くお礼申し上げます。
ところで私が長年、合気道の稽古をしてきて、合気道に取り組む上での考え方と申しますか、合気道の心や技のポイントと処世訓(=人世訓)、即ち人としての生き方に共通項のあることに気づくことが多々ありました。
本件は、合気道の稽古の中で私の感じたことを僭越ながら纏めたものです。
尚、このこと、余談ながらコロナ前、長束道場の懇親会の席で黒田先生から同様の話があり、「貴方もそう思うか!」、と意気投合したことがありました。
恐らく皆様方の多くも下記をご覧になり、「そうそう!」と思われるのでは!!
また、体捌きの中で該当すると感じたものを纏めており、重複と思われるものもあろうかと思いますが、ご了承下さい。
合気道とは、を語る上でこれまでにも再三述べていますが、物事の見方・考え方も同様ですが、取り組み方に次の2通りの捉え方がある、と私は考えています。
まず、大所・高所的(=俯瞰フカン的)捉え方、即ち、『合気道はぶつかり合いや取っ組み合いではなく、剣術を基にした捌き合いの武道・武術である』、と。
尚、合気道は剣術云々と言われていますが、この根底に『剣術の目的は拘コダワりを取り去ること - 徳川幕府初期の剣術指南、柳生宗矩の禅宗の師、沢庵禅師の談』がある、と私は考えています。
処世訓(ア)
稽古を含め日常生活においても行き詰まれば、良い意味での拘りは必要であるが、視野を広げ発想の転換を図ることが重要でしょう。
言うは易しではあるが、小手先でなく本質追究を!
次に、開祖は『米糠3合(牛乳瓶3本分)持てれば合気道はできる。』、と申されています。
これは局所的捉え方で、私は『やり様によっては、合気道は何方にもできる』、即ち、技のこつ、これらをグルーピングすると下記のA.~C.の3点に収斂でき、それを稽古で押さえ、繰り返し稽古を重ねて身につけていくことが必要である、と解釈しています。
A.理屈に合うこと
a.) 物理の法則 : 力の平行四辺形・衝撃力・仕事量などの活用
b.) 人体の生理的弱点 : 各関節や脳の単一性(複数事象、同時は不可)などの活用
B.身体、力は動いて出すもの、動きでの勢いなどの有効活用
C.感覚、何気に動き、相手に抵抗感を与えぬなどの有効活用
尚、発信済みですが、これら捉え方は車の両輪であり、本件は双方にて捉えたものです。
処世訓(イ)
何事に対しても自ら一歩踏み出す気持ちにて、好奇心を含んだ問題意識で知識や情報を幅広く収集し、その上で“THINK(考えよ!)、THINK、THINK(IBM社社内の壁面に掲示)”の対応が必要ではと!
合気技の体捌き(流れ)での対応
1.
先ずは、自然体での合気道の正しい姿勢#1 、のこと!! 〜 “気をつけ”、の姿勢ではない!!
→ #1 印 : 撞木シュモク(⊥)での足構え 〜 正面からの負荷に対してはズッシリと重い! 但し、後方・左右・斜め前方などからに対しては脆モロい面あり。
1.)
その長所を活かすため、月面の如く相手に対しては常に同一面、即ち正面を向け続けること。
彼我の体軸を、そして双方を結んだ中心線を想定し、相手の動きに対して自らの正面を向け続ける必要あり。〜 金太郎飴の如く!!
2.)
また、臍下丹田{観念的なものであろうが、臍下三寸(約9㎝)の内部と言われている。実際には内臓の腸であるが…。}に気持ちと重心の意識を置くことが大切である!!
処世訓(ウ)
自己の確立を!!
自分自身を整え、柔軟で肚の据わった自己の確立が大切でしょう。
そして、守・破・離を意識し、自分を活かす努力を!
優柔不断で、他人に左右されっ放しでの人生は如何なものか!!
2.
その上で、体捌き上での心得について : 目的は、相手を制するため!
〜 体捌き(=手捌き&足捌き)は相手の体勢を崩すための手段の一つ、更に、体勢を崩すのも相手を制するための手段の一つである。尚、目的と手段の区別を明確に!!
合気道は冒頭で述べた通り、『剣術を基にした捌き合いの武道・武術』であり、従って、遠山の目付#2にて相手に対し、間合い#3を重視し対応のこと!!
→#2印 : 通常の一点集中ではなく、集中だが遠い山を眺める見方、即ち雑念なく視野に入るものを集中して幅広く受け入れる感覚。
これは、向かってくる虫などを思わず振り払った経験ありと思うが、防御本能の領域で、このレベルでの対応が可能となろう。
〜 追随テスト(長束道場で実施済み) : 彼我の掌と手の甲を合わせ、我の動きに追随可能か否か!?〜 目を開けて(✕)と目を閉じて触覚(◯)、とでの比較。
∵ 前者(見て判断)の場合は、脳を経由しての反応でその分迂回するので遅くなるが、後者の感覚(触覚)の場合は相手の動きに直接反応可能であり、素早く反応できる。
→ #3 印 : 剣術における基本の間合いは一足一刀であるが、日々の稽古の中で自らの『攻めるに易く、守るに易い間合い』を体得する努力を!!
余談ながら、無意識の世界(武術の世界)と意識の世界(スポーツの世界)について。
無意識の世界 :
0秒〜 0.5秒 - 要、感性を磨く。一連の流れの中に身を置く意識を!! 意識的には空白の時間帯であるが、より短縮化を目指す。
0 〜 0.2 : 何らかの刺激を受けたら無意識に反応、行動を起こす。 〜思わず、「アチッ!」
0.3〜 0.5 : そうして行動を起こしたことを自覚する。
意識の世界 :
0.5秒超 - 相手を目で見て行動を起こす。大方の日常対応の仕方。
0.5〜 : 相手を目で見て、そのタイミングやスピードに合わす。
意識の世界、即ち相手を見ての対応では、前述の追随のテストの如く脳への迂回があるため、真の武道・武術を求めるのであれば方針転換が必要でしょう。
自然体の姿勢で自らの心を整え、遠山の目付で間合いを計り、相手に囚われることなく受け入れる気持ちで対応、これが無意識の世界への入り口となる、か!?
処世訓(エ)
物の見方・考え方には大所・高所的なものと局所的なものとがあるが、事に当たりいろんな方向から幅広く捉えることが求められる。
当然ながら原理・原則、基本を重視することは勿論であるが、あえて大所と局所的捉え方、双方を意識して取り組む必要もあろうと!
1.)
相手を受け入れる気持ちと『当て身7分で技3分』(開祖のお言葉)即ち入り身の体捌きを重視し、それを基に相手の攻撃の線と速さを見切る稽古を実施方!
前提は、先の自然体の姿勢で心を整え、遠山の目付で間合いを計ること!
前者と後者、多少矛盾する思いもあろうが、ブレない自己を確立の基、対象を大きな気持ちで捉え、隙あらば懐へ飛び込む気持ちの双方を意識して対処方。
処世訓(オ)
『自らの思いで一歩踏み出し、踏み出したら集中し継続して行く!』気持ちで目的・目標に向かい、時には『道に当たりて死を厭わず』(宮本武蔵)の心持ちが必要でしょう。
2.)
『合気道、読んで字の如し』、相手の気持ちに合わす、また相手の動きに合わす、という気持ちが必要であり、決して一人よがりの動きをせぬこと!!
〜 和合の精神を重んずる合気道、相手と向きを合わせる一体化、相手の向かう方向を尊重する気持ちなどが重要!!
『遠山の目付』を根底に臍下丹田へ気持ちを鎮め、和合の武術の合気道、相手との繋がりが大切である。
相手の立場をも考慮して取り組む必要があろう。
処世訓(カ)
相手の立場を考慮、尊重する気持ち、即ち和合の気持ちを大切に、日頃の日常生活や稽古においても相手との一体化、即ち相手に寄り添う気持ちが必要でしょう。
但し、決して受け身の姿勢ではなく、最終的には自らの手の内へという積極的なものも必要と!!
3.)
相手の攻撃には動く部位と動かぬ部位のあること、更に動く部位には先端の動きの早い部位と起点部の遅い部位のあることを意識して日々稽古のこと!!
〜 遠山の目付で対応方。その際、上半身は肩付近や肘辺り、下半身は股関節や膝 辺りと足先の方向を注視方。相対稽古では取り組みが困難、一人稽古が活きよう!!
日頃の稽古の中で漫然と稽古するのではなく、『遠山の目付』を意識し、先の相手を受け入れる気持ちでの対応、適切な手捌き・足捌きにより相手の攻撃の線をズラすなど、を心掛けることが必要です。 ぶつかり合いは厳禁、です!!
尚、先・対の先・後の先と言った捉え方もあるが、むしろ、シンプルに遠山の目付の基、間合いをしっかり身につけること、相手を見ての対処ではなく、察知する、即ち前述の無意識の世界を含めた前述までの捉え方での稽古が必要、と私は考えます。
処世訓(キ)
まず、枝葉末節な事象に囚われることなく、先に触れた通り、目的と手段の区別を的確にしておくこと。その上で現状と目指すこととの関連性を見極めて必要な手段、現在は各種文献外かインターネットなど多くのツールが存在している、を整えておく心掛けと物作りの世界での言葉、『仕事は段取り、よ!』、即ち事前準備とその重み付けをして行くことが必要、と考えます。
4.)
自らの身体の中心軸を意識し、その線上で刀を振りかぶり体重を乗せて振り下ろす、即ち体重移動・膝の使い方、また同手同足の同調する用い方、特に手の動きに体重移動の勢いを乗せる意識が重要。その際、中心からブレない様に、また自らの持っている武器は同時に用いるなど出し惜しみをしないこと!!
〜 合気技は武道・武術のため、左右の手足が満遍なく使えることが理想である。尚、腕力は脚力の1/4〜1/3とされており、始動は中心力からの感覚を、そして本項の認識は非常に重要である。 更に、崩す方向は大別して縦方向と横方向があり、制する個有技はその方向に合わせるのが効率的であろう。
処世訓(ク)
人としての生き方においても『自己の確立』があって、始めて、他人との関わりが活きてこようし、繋がり云々の段階となるでは?! そして、まずは足元を固めること、更に高みを目指すため自らの感性や見識を高め、広めることも必要でしょう!
5.)
稽古においては、彼我の腕を刀に見立て、腕の側面、即ち刀の刃部ではなく鎬シノギ部を意識して相手の攻撃の線をズラす意識を大切に!!その際、相手の攻撃の線と速さを読み、その通り道を作る体捌きが重要である。
処世訓(ケ)
人生において生ずる諸問題に対しては目をそむけることなく、和合の精神とブレない気持ちと柔軟心での対応を心掛け、実践方、そして万一、行き詰まれば力の方向を変えるなど発想の転換をも!!
6.)
その際、相手との接触点(・接触線・接触面)は優しく両手にて丁寧に扱う、そこに置いておく、抵抗感を与えず何気に体捌きを、という気持ちを重視のこと!!
〜 手は使い勝手が良いので、つい用いるが力は入り気味、相手に悟られ対処され易いので要注意!! 〜 肩甲骨を意識し、体重移動で捌く感覚を。作用・反作用の言葉の通り、こちらに力が入るとあちらからも、で力比べ!!
そしてその部位を自らの中心・近くと相手を捌きやすい位置まで移動、同時に相手の体勢を崩し、制することが合気道の技である。 尚、呼吸の働きも微妙に絡んでおり、吸気は動きの柔らかさや相手を受け入れる作用が、呼気には大きな力を出したり相手を遠ざけたりの作用がある、とされている。
尚、5.)& 6.)の際、手刀の捌きや掌と親指・小指・薬指・中指で輪っか状の型を作り相手の手の部分を嵌め込むやり方が有効であり、決してガバッと握り込まぬこと!!
処世訓(コ)
合気道の根幹である和合の気持ちは、人生においても他人とのコミュニケーションは重要です。それをベースに発生する諸問題に対して、例え相手と異なる意見であっても相手を尊重し、しっかり耳を傾ける、また寄り添うなど双方を纏め上げる気持ちをしっかりと持ち、真摯な気持ちで丁寧に対応することが大切でしょう。
7.)
舞を舞う様#4に 、流れを切らずの体捌きで相手の体勢を崩し、間髪を容れず彼我の体勢や間合いにて最も適切な個有技で制することを旨とし、稽古のこと!! それに至るまではどの固有技が最適であるか、日々の稽古で探り、身に付けることが重要である。それへの過程においては、特に俯瞰的見方・考え方での高い目標を設定し、次に小目標を、例えば一歩先の級位・段位を丁寧に、系統的に、継続して稽古し続ける。
→ #4 印 : 体捌きについて、『…舞を舞う様に!』、これは故北平雅一師範のお言葉で、稽古において度々お話をされていた。
処世訓(サ)
合気道において、ポイントを押さえた和合の動きで事前に相手の体勢を崩しておくことが必要なように、日常生活においてもある程度、道筋を考慮した事前の準備、例えばデータの共通項を纏めておく、更に各ポイントを押さえておくことも必要でしょう! まさに『仕事は段取り、よ!』。
3.
相手を崩して技に移行する際は小手先の捌きではなく、臍下丹田を意識した舟漕ぎ運動の要領にて行うこと。
更に4.)の要領で、姿勢の正面の方向へ前足を踏み出 しつつ振り下ろし、後ろ足はそれに追随、即ち、残心の姿勢(金太郎飴の如くにて!)に て終わること! 特に合気道は武道・武術であり、最後まで気を抜かぬこと!!
更に、目指すは前述の1.から3.までを高めつつ、そして種々の要素、精神的なものなどを組み入れ、より高みを目指す…!!
処世訓(シ)
何事においても『自らの思いで一歩踏み出し、踏み出したら集中し継続して行く!』、目指すは本質の追究であり、その結果は『終わり良ければ全て良し!』ですが…。
合気道の効用については、皆さま方もご存じのことと思います。
植芝吉祥丸二代道主は、「実生活で活かされなければ、現代社会において武道・武術をする意味はない。」、と申された由。
各自、いろんな動機や思いで一歩踏み出し、各々の目標や求めるものが異なりながらも和合の武道である合気道を稽古しておられます。 更に、集中と継続でより高みを!!
また、時には『道』と名前の付くものは分析をすべきでない、とも言われますが、私はそれを効率的に、理解度を高めるなどのためには根幹を変えぬ限り、そして組み立て直して、より高みを目指す手段に用いるのであれば、可と考えています。
この取り組みの過程において、相手の攻撃の捌き方と個有技との組み合わせを意識して日々稽古をすれば、体系的な捉え方での自由技、即ち一連の動作としての技が自然と身につき、究極の目標である『動けば技となる』、に近づくのでは?…と!
更に、精妙な身体や呼吸の用い方や心の在り方など気心技体の向上も必要であろう…し!
尚、本件は、私の現レベルで追求可能な『誰にでも出来るオーソドックスな合気技』を目指す方向で、且つ、体捌き主体で考察したものです。
以上
(文責 : 村田義昭、R4.11.11.)
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